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  2. 綱敷天満宮とは

御祭神

菅原道真公は、承和十二年に京都で生まれ、
幼名を阿呼(あこ)と申しました。
幼い頃より学問に秀で、
五歳で和歌を詠むなど才能を示されました。
三十三歳で文章博士となり、
学問と政治の道に尽力されましたが、
藤原氏の讒言により太宰府へ左遷されます。
流謫の地でも人々を導き、
詩歌を詠みながら天に誠を尽くされ、
五十九歳で生涯を終えられました。
その清らかな心と学問の功績を讃え、
全国に天満宮が建立され、
学問の神・天神さまとして広く信仰を集めています。

ご由緒

二十五霊社のひとつ

「二十五霊社(にじゅうごれいしゃ)」とは、全国に数多くある天満宮・天神社の中でも、特に菅原道真公の御神霊を深く祀る由緒正しい二十五社を指します。
これらの社は、菅原道真公の生涯・信仰・伝承にゆかりの深い神社として、古くから特別な崇敬を集めてきました。

二十五霊社は、それぞれが道真公の御魂を慰め、徳を仰ぎ奉る神社として定められており、全国の天満宮の中でも特に格式の高い神社とされています。
綱敷天満宮もその一社に数えられ、古来より「学問の神様を祀る名社」として信仰を集めています。

歴史

菅原道真公が太宰府に左遷され、九州へ向かわれる途中のこと。海が荒れ、航海を続けることができず、やむなく須磨の浦へ避難されたと伝えられています。
そのとき、地元の漁師たちは大きな網の綱を使って「円座」を作り、道真公はその上でしばしお休みになりました。

この故事にちなみ、道真公の御没後七十六年にあたる天暦九年(955年)、当時の国府の命により綱敷天満宮が創建されました。現在も境内には、この円座を模した「綱敷の円座」が再現され、訪れる人々に道真公のご遺徳と、この地にまつわる由来を静かに伝えています。